日本学士院

第47回公開講演会講演要旨

1) 格差はなくせるか 村上淳一

 いま盛んに論じられている格差の問題は、どこから起こったのだろうか。格差は、とくに身分制的な旧弊を脱しきれない社会に見られる現象なのか、それとも、身分的な格差が否定されて自由な活動が可能になった近代社会は、別種の格差に悩むことになるのか。格差が生じたとしても、それを解消するための再チャレンジが可能なのが近代ではないのか。それとも、再チャレンジは現実には困難なのか。困難だとして、それはなぜか。

 1998年に亡くなったドイツの社会学者ニクラス・ルーマンは、身分制を克服した自由な近代社会は政治や経済や法や学術や芸術や教育等々のさまざまの分野で自由な活動が展開される社会だが、それは、それぞれの分野で活動するための基準がそれぞれの分野ごとに自由に設定されるということでしかない、と説いている。それぞれの基準に合わない者は、やはりそれぞれの分野から閉め出されることになる。そして、多くの分野から閉め出された者は、さまざまの分野からなる社会全体から閉め出されてスラムを形成することになりかねない、と言う。

 そればかりではなく、ルーマンは、それぞれの分野で近代化された体制を実際に動かしているのは、先進国においても合理化された組織ばかりではなく、フェイス・トゥ・フェイスの人間関係も一役買っていると指摘する。この講演では、ルーマンの所論を参照しながら、現代の格差問題を理論的に理解するための糸口を探したい。

2) 細胞内のミクロの運び屋、分子モーター:
脳の働きの制御、体の左右の決定から腫瘍の抑制まで  廣川信隆

 私たちの体を作っている細胞は、私たちの社会と似ている。私たちの社会では、農村で米、野菜、果物などを作りそれを飛行機、列車、トラックなどの様々な運び手によって都市部に輸送し、また都市部の近郊で作られた電化製品は、やはり様々な交通手段によって地方に輸送され私達の生活は、成り立っている。私たちの体を作っている、脳の神経細胞、消化管の上皮細胞、筋肉の細胞、血管の細胞などすべての細胞のなかには、微小管という直径5ナノメーター(1ミリの百万分の1)のレールが規則的に張り巡らされ、その上を数10種類にも及ぶ多彩なモーター分子が異なった速度で、細胞がつくり私たちの様々な生命活動に必須な蛋白質などの素材を極めて巧妙な機構で製造所から終着点まで送り届けている。モーター分子(〜100ナノメーター)が私たちの大きさとすると直径5メートルの土管の上を秒速100メーターの速度で10トントラックほどの大きさの積荷を担いで地球から月までの距離を走り回っていることになる。

私達は、人のモーター分子のすべての遺伝子を発見し、生命科学のあらゆる先端的方法を駆使してこの生命活動に必須なモーター分子の働きを解明してきた。その結果これらのモーター分子群が、記憶、学習などの脳の高次機能、脳の神経回路網の形成、体の左右非対称性の決定、腫瘍や癌の抑制などをはじめとする私たちの生命の要ともいえる大変重要な現象をコントロールしていることが分かった。これらの先駆的研究成果をご紹介する。