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日本学士院賞授賞の決定について

日本学士院は、令和6年3月12日開催の第1177回総会において、日本学士院賞9件10名(うち菊地重仁氏と小原一成氏に対し恩賜賞を重ねて授与)を決定しましたので、お知らせいたします。受賞者は以下のとおりです。

1. 恩賜賞・日本学士院賞

研究題目

Herrschaft, Delegation und Kommunikation in der Karolingerzeit. Untersuchungen zu den Missi dominici (751–888)

(『カロリング朝時代の支配、委任、コミュニケーション—ミッシ・ドミニキ(751-888年)の研究』)

 

氏名

菊地重仁(きくち しげと)

 

菊地重仁

現職等

東京大学大学院人文社会系研究科准教授

生年(年齢)

昭和51年(47歳)

専攻学科目

ヨーロッパ初期中世史

出身地

秋田県秋田市

授賞理由

 菊地重仁氏のHerrschaft, Delegation und Kommunikation in der Karolingerzeit. Untersuchungen zu den Missi dominici(751–888) (Harrassowitz, 2021)は、西ヨーロッパ世界が中世に転換した最も重要な時期にあたるカロリング朝フランク時代において統治の重要な手段となった「国王使節」と称するシステムを研究対象とした著作です。膨大な文献を渉猟して、このシステムを担った人物の悉皆的な調査を遂行し、470人の同定可能な人物と逸名の70人のプロソポグラフィー(人物誌)を作成し、カロリング朝国王使節研究を全く新たな段階に引き上げるのに成功しました。菊地氏が構築した人物誌データが提供する情報は、このテーマに限らずカロリング朝フランク時代の国制一般の研究にも活用され、国際的に高い評価を受けています。


【用語解説】

カロリング朝フランク時代
古代ローマ帝国が政治的に崩壊した後に、現在の西ヨーロッパを支配したのはフランク人と称されたゲルマン系の集団であり、その支配期は6世紀から8世紀中頃まで支配したメロヴィング王朝期と、8世紀中頃から10世紀終わり頃まで統治したカロリング王朝期に分けられる。
国王使節
史料上の用語に基づき「missi dominici(ミッシ・ドミニキ)」と称され、これまでの西洋史研究は「国王巡察使」の訳語を当ててきた。国王使節は、100万平方キロメートルという広大な版図をもった王国を統治する政治的手法として用いられ、俗人有力者と司教などの高級聖職者がコンビを組み、王国会議の決定を「条令」の形で地方に伝達したり、また地方の実情を宮廷に伝えたりするために編み出された。菊地氏はこの手法が、初めから「制度」として定立されたのではなく、諸種の国家的課題遂行のために、その都度目的に応じて編成された極めて実践的な仕組みであることを明らかにした。古代日本史の類似の制度をもとに使用されてきた「巡察使」の訳語は、地方を巡歴する役人という中央集権的な印象を与えるため適切ではないと菊地氏は指摘している。
逸名
時を経て名前がわからなくなった人物のこと。
プロソポグラフィー(人物誌)
歴史研究の一手法。ポーランド系英国人のルイス・ネイミアが18世紀英国議会史研究において、議員個々人の社会的出自、学歴、親族・姻戚関係等々のデータを悉皆的に積み上げ、そこから議員集団や党派の利害関係を考察して、議会の動きを分析した研究が代表的である。その後ロナルド・サイムが古代ローマにおける政治変動の分析でこの手法の有効性を実証し、以降、歴史研究の重要な手法として定着した。菊地氏が構築した国王使節のプロソポグラフィーはこの分野での初めての成果であり、その学問的功績は国際的にも極めて大きい。

2. 恩賜賞・日本学士院賞

研究題目

プレート境界における深部低周波微動の発見とスロー地震学への発展

氏名

小原一成(おばら かずしげ)

小原一成

現職等

東京大学地震研究所教授

生年(年齢)

昭和34年(64歳)

専攻学科目

地震学

出身地

仙台市若林区

授賞理由

 小原一成氏は、深部低周波微動と呼ばれるプレート境界の滑り現象を発見し、地震学の新分野開拓に大きく貢献しました。地震は断層が毎秒1m程の高速で滑る現象(地震滑り)で、プレート境界のより深部で起きている年数cmの定常滑りより8桁(数億倍)も速くなっています。この8桁ギャップの中で何が起きているかは観測がほとんどなく、これまでは理論研究の範疇でした。小原氏は、定常滑りから地震滑りへと遷移する領域で、定常滑りよりはるかに速く、かつ地震滑りより有意に遅い深部低周波微動と呼ばれる滑り現象を2002年に発見しました。この微動源の分布は、沈み込んだプレートの等深線や巨大地震の震源域の下端分布とよく一致します。こうした8桁ギャップの中で起こる滑り現象は、スロー地震と呼ばれ、今では複数の異なるタイプの現象が存在することが知られています。同氏は共同研究者らを主導しそれらの発見に貢献しました。更に、複数タイプのスロー地震が同時発生するなどの様々な特徴を明らかにしました。


【用語解説】

複数の異なるタイプの現象
スロー地震を構成する複数の異なるタイプの現象としては、1秒間に数回振動する「低周波微動」、数10秒の周期を有する「超低周波地震」、数日間かけてゆっくり断層が滑る「短期的スロースリップイベント(SSE)」、半年から数年かけて断層運動が継続する「長期的SSE」の4種類が挙げられる。また、南海トラフの場合、巨大地震震源域の浅部側と深部側のそれぞれで上述のスロー地震が存在するため、「浅部」及び「深部」が現象名に付与される。小原氏は2002年に「深部低周波微動」を世界で初めて発見したのち、2004年に「短期的SSE」、2005年に「浅部超低周波地震」、2007年に「深部超低周波地震」を発見した。

スロー地震

3. 日本学士院賞

研究題目

太宰治論

氏名

安藤 宏(あんどう ひろし)

安藤 宏

現職等

東京大学大学院人文社会系研究科教授

生年(年齢)

昭和33年(65歳)

専攻学科目

日本近代文学

出身地

東京都世田谷区

授賞理由

 安藤 宏氏は『太宰治論』(東京大学出版会、2021年12月)において、「自意識過剰の饒舌体」という特徴的な文体によって日本の近代小説を代表する作品を生み出した太宰 治の小説家としての歩みを、広い視野のもと精緻な分析を積み重ねて明らかにしました。安藤氏は太宰の小説家としての活動時期を四期に分かち、太宰の伝記的な事実や太宰の社会的・文化的な環境を検討しつつ、それぞれの時期の作品の素材やテーマの分析にとどまることなく、小説における「語り」という視点から作品の構造を分析し、「自己言及のドラマ」と称される太宰の小説の魅力を鮮やかに提示することに成功しました。しかも、そのことが太宰 治という一人の小説家の問題として閉鎖的に論じられるのではなく、「私」の表現はどのような文体や語りにおいて可能なのかという、日本の近代小説が抱えてきた大きな問題の解明にも資する開かれた研究になっていることも、本書の優れた研究業績として高く評価することができます。


【用語解説】

自意識過剰の饒舌体
自分の弱さや醜さなど自己のあり方に過剰にこだわり、それを執拗に対象化して表現しようとする多弁な文体。
小説における「語り」
小説では作者によって語り手が設定され(一人称、三人称)、語り手が小説を進行するが、その語り手の言説あるいは言説行為を「語り」という。
自己言及のドラマ
自分自身あるいは自分が作った作品を分析の対象として記述し、さらにはそのこと自体が新たな分析の対象になっていくような小説の書かれ方。

4. 日本学士院賞

研究題目

重力レンズ効果を用いた宇宙論研究の開拓推進(共同研究)

氏名

宮崎 聡(みやざき さとし)

宮崎 聡

現職等

国立天文台ハワイ観測所長、国立天文台先端技術センター教授

生年(年齢)

昭和40年(58歳)

専攻学科目

宇宙物理学

出身地

名古屋市千種区


氏名

大栗真宗(おおぐり まさむね)

大栗真宗

現職等

千葉大学先進科学センター教授

生年(年齢)

昭和53年(46歳)

専攻学科目

宇宙物理学

出身地

石川県小松市

授賞理由

 暗黒物質暗黒エネルギーの実態の解明は21世紀の物理学・宇宙論の大きな課題となっています。宮崎 聡氏はすばる望遠鏡に搭載する超広視野CCDカメラを開発し、暗黒物質分布を精密に観測する大規模な計画を主導し、その画像データを整備して公開しました。宮崎氏は暗黒物質の重力レンズ効果で生じる遠方銀河の画像の微かな歪みの解析から、暗黒物質の分布を求めることができることを実証し、研究の道筋を立てました。大栗真宗氏はこれらの大規模な観測データから暗黒物質の三次元空間分布とその数十億年にわたる時間進化を読み解き、求めた膨張宇宙モデル宇宙背景放射の分析からの結果と一致しない可能性を指摘し、超新星爆発が重力レンズ効果で時間遅延のある複数像として発現する現象の予言や、重力レンズ効果が極大となる状況を用いた遠方の単独星の観測など、具体的な成果を挙げました。両氏の研究は暗黒物質の研究において世界の追随を許さない新しい拡がりをもたらしました。


【用語解説】

暗黒物質
宇宙の平均エネルギー密度の約1/4を占める正体不明の物質。原子など既知の物質ではなく、重力を及ぼすが電磁波では観測されない未知の素粒子と考えられ、その探査が続けられている。
暗黒エネルギー
遠い超新星の観測などから宇宙膨張が加速していることが発見され、その加速に必要なエネルギーにつけられた名前。暗黒エネルギーは宇宙の平均エネルギー密度の約7割にも達するが、その正体は全く不明である。
超広視野CCDカメラ
116個のCCD素子でハッブル宇宙望遠鏡の1000倍の視野を一度に撮影できるデジタルカメラ。2014年にすばる望遠鏡に搭載された。
重力レンズ効果
遠くの天体から出た光が、途中にある銀河や銀河団などの重力場によって曲げられる現象。重力場が凸レンズのように働くことから名づけられた。
膨張宇宙モデル
ビッグバン宇宙論に基づいて宇宙の進化を記述するモデル。Λ(ラムダ)CDMモデルは暗黒物質と暗黒エネルギーを含み、観測に最もよく合う標準モデルとされている。
宇宙背景放射
ビッグバン後約38万年の熱い時代の宇宙に満ちていた光が、宇宙膨張とともに薄まり温度が下がり、現在の宇宙では絶対温度3度のマイクロ波として宇宙を満たしている。
116枚のCCDを敷き詰めたすばる望遠鏡超広視野カメラの撮像部

116枚のCCDを敷き詰めたすばる望遠鏡超広視野カメラの撮像部

銀河の重力レンズ効果でその背後からの光は曲げられて地球に届く

銀河の重力レンズ効果でその背後からの光は曲げられて地球に届く

5. 日本学士院賞

研究題目

感光性ペロブスカイト結晶を用いる有機無機ハイブリッド太陽電池の創成

氏名

宮坂 力(みやさか つとむ)

宮坂 力

現職

桐蔭横浜大学医用工学部特任教授、東京大学先端科学技術研究センターフェロー

生年(年齢)

昭和28年(70歳)

専攻学科目

光電気化学・エネルギー変換の化学

出身地

神奈川県鎌倉市

授賞理由

 宮坂 力氏は、色素増感太陽電池に関する長年の研究成果を踏まえ、有機物とハロゲン化金属からなるペロブスカイトの結晶を半導体に用いる有機・無機ペロブスカイト太陽電池を世界に先駆けて発明しました。その代表的なペロブスカイト組成はCH3NH3PbX3(Pb=鉛, X=ヨウ素、ホウ素)で、溶媒に可溶なイオン性結晶であるためにこの溶液を基板上に塗布または印刷し、晶析反応(結晶化)と乾燥によって容易に成膜できる利点があります。また、従来のシリコン結晶を用いる太陽電池に比べて、ペロブスカイト太陽電池は、厚さが10分の1以下、重さが10分の1以下の薄くて軽いフィルム状に成形できること、柔軟性に優れて形状の自由度が高いために曲面に設置することができること、製造に要するエネルギーも少なくて済むことなど多くの利点があり、極めて高いポテンシャルを有しています。低コストで大面積化が可能な高効率太陽電池は、持続的社会を構築するために不可欠なキーテクノロジーであり、エネルギー問題への貢献が期待されています。


【用語解説】

色素増感太陽電池
半導体膜に吸着した色素が光を吸収して発電をする仕組みによる有機系太陽電池。
ペロブスカイト
ペロブスカイトとは結晶の構造を示し、感光性を持つペロブスカイト型結晶は、一般に知られる金属酸化物(典型的な物質としてチタン酸カルシウム)ではなく、金属のハロゲン化物であり、有機・無機複合化合物のABX3の組成からなる。
ペロブスカイト結晶構造

ペロブスカイト結晶構造

6. 日本学士院賞

研究題目

特殊ペプチド創薬の開拓への貢献

氏名

菅 裕明(すが ひろあき)

菅 裕明

現職

東京大学大学院理学系研究科教授、東京大学先端科学技術研究センター教授

 

生年(年齢)

昭和38年(61歳)

専攻学科目

生物有機化学

出身地

岡山市北区

授賞理由

 菅 裕明氏は、独自性が極めて高い「フレキシザイム(人工リボザイム)」、「環状特殊ペプチドの無細胞翻訳合成」、「RaPIDプラットフォーム」技術を開発して、鋳型mRNAからさまざまな非タンパク質性アミノ酸を組み込んだ「環状特殊ペプチド」の調製に世界に先駆けて成功しました。ここで最も注目されるのは普遍的な遺伝暗号を自在に書き換えるリプログラミング技術の発明です。さらに、これらの新技術の効果的な統合により、疾患原因となる標的タンパク質に強く結合する薬剤を高確率かつ極めて迅速に探索することを可能にしました。従来の分子量500程度の低分子医薬、巨大な抗体医薬に次ぐ、中分子の新モダリティー分子群の開拓による「特殊ペプチド創薬」分野を創始したものと位置付けられます。本総合技術は多様なタンパク質阻害剤、活性化剤の発見とその作用機序に関わる基礎・応用研究を加速するとともに、空前の汎用性ゆえに現在、国内外の医薬業界における創薬活動に広く活用されています。


【用語解説】

フレキシザイム
フレキシザイムは、「フレキシブル」と「リボザイム(RNA酵素)」を融合した造語で、様々なアミノ酸あるいは類似分子を、任意のtRNAの3´末端の水酸基にエステル化で両者を結合させる機能をもつRNA分子。
環状特殊ペプチドの無細胞翻訳合成
天然物からは、特殊アミノ酸やマクロ環状化された骨格をもつ「環状特殊ペプチド」が発見されることがある。このようなペプチドは、高い生体内安定性と生理活性を有していることが多く、薬剤としての需要が高い。しかし、これらの天然物由来の環状特殊ペプチドの発見は、偶然に頼らざるを得ず、システマティックに探索することはできなかった。菅氏は、下記の遺伝暗号リプログラミングの技術により、環状特殊ペプチドの配列を鋳型mRNA分子から自由に翻訳合成することにも成功した。
RaPIDプラットフォーム
菅氏は、上述の特殊ペプチドの翻訳合成法を駆使することで、特殊ペプチドを鋳型mRNA分子に直接リンクさせ、特殊ペプチドと鋳型mRNAを1対1で対応付けしたmRNAディスプレイを構築した。これにより1兆種類の異なる特殊ペプチド配列のライブラリーから、薬剤標的に対する薬剤候補を超絶なスピードで発見することができるシステム、RaPID (Random non-standard Peptides Integrated Discovery) システムを開発した。
遺伝暗号リプログラミング
遺伝暗号では4種類のRNA塩基(A, U, G, C)のうち、3つの塩基が組み合わさった配列がコドンと呼ばれ、そのコドンは1つのアミノ酸を規定しており、普遍遺伝暗号表では、翻訳の開始と終始、そして伸長される20種類のアミノ酸に全てのコドンが割り当てられている。生体内のリボソーム翻訳系は、この遺伝暗号に従い、メッセンジャーRNA上にコードされたタンパク質やペプチドの配列を正確に合成する。菅氏は、前述のフレキシザイムを開発したことで、この遺伝暗号を自在にリプログラミングして、特殊アミノ酸を遺伝暗号に新たに規定することを可能にした。
(左)フレキシザイムがtRNAと特殊アミノ酸に結合した3次元構造(Nature 2008)(右)コロナウィルスのプロテアーゼ酵素にした環状特殊ペプチドの3次元構造(Nature 2023)

7. 日本学士院賞

研究題目

微生物の新規機能の探索と有用物質生産への応用に関する研究

氏名

清水 昌(しみず さかゆ)

清水 昌

現職

京都大学名誉教授、富山県立大学客員教授

生年(年齢)

昭和20年(78歳)

専攻学科目

応用微生物学

出身地

京都市中京区

授賞理由

 清水 昌氏は、多種多様な微生物群の中に有用な新規機能を広く探索する研究を通じて、アラキドン酸を主成分とする油脂を直接生産する微生物を世界で初めて発見し、その工業生産に成功しました。また、その生合成過程の詳細な検討から、稀少かつ多様な高度不飽和脂肪酸の発酵生産に成功し「油脂発酵」という産業分野を確立しました。現在、アラキドン酸含有油脂は世界の国々で乳幼児用の粉乳に添加されています。また、パントテン酸生産の工業原料中間体を光学分割する微生物反応を発見し、これまでの化学的手法による光学分割法を用いた製造工程を大幅に簡略化しました。さらにケトン基を光学活性アルコールへと不斉還元する微生物を発見し、その酵素を用いた汎用型の不斉還元システムを構築しました。本法は多様な光学活性アルコールの工業的合成法として世界的に活用されています。以上のように清水氏は探索研究による微生物の新規な機能の発見をもとに学術的な研究を進め、その成果を質の高い社会実装に結びつけて、バイオ産業の発展に大きく貢献してきました。


【用語解説】

アラキドン酸
分子内に二重結合を4つ持つ炭素数20の脂肪酸。体内でいろいろな物質に変換されてそれぞれの生理機能を発揮するヒトにとって重要な脂肪酸。他の動物は途中の酵素が欠損しているためアラキドン酸を作ることはできず、ヒトは食事から必須脂肪酸としてリノール酸などを取り込んで、それを原料として体内でアラキドン酸を合成している。清水氏の研究によって、アラキドン酸が乳幼児、特に未熟児の発育に必須であることも判明した。
生合成
生物の体内で、特定の物質が合成されていくこと。それぞれの各工程に特定の酵素がかかわっている。
パントテン酸
水溶性のビタミンB群の一種で脂質や糖質のエネルギー代謝に必須の成分。パントテン酸の工業的生産の中間原料として、D-パントラクトンが用いられている。その合成は、DL-パントラクトンの光学分割によっている。

パントテン酸合成の中間体であるパントラクトンの光学分割。本研究で見出されたラクトナーゼでDL-パントラクトン(DL-PL)を処理すると、D-パント酸(D-PA)とL-パントラクトン(L-PL)を与える。
光学分割
炭素原子は化学結合に関与する手が4つあるため、それぞれの手についた原子などが同じでも、右手と左手のように互いに重なり合わない2つの分子が存在する(立体異性体)。その片方をD体、もう片方をL体と呼び、その結合の中心の炭素を不斉炭素という。D体とL体が半数ずつ存在する場合、それをラセミ体と呼び、そこからD体とL体を互いに分離する操作を光学分割という。
不斉還元
ケトン基のような官能基を還元してアルコール類を合成する際に、直接D体あるいはL体のみの化合物を得る手法を不斉還元という。その合成法としては化学的な触媒による方法と、生体触媒としての酵素による方法がある。微生物酵素を不斉還元に用いうることを示した代表的な例が清水氏の本研究である。

8. 日本学士院賞

研究題目

成人T細胞白血病・リンパ腫に対する抗体医薬開発のトランスレーショナル・リサーチ

氏名

上田龍三(うえだ りゅうぞう)

上田龍三

現職

名古屋大学大学院医学系研究科特任教授、名古屋市立大学名誉教授、愛知医科大学名誉教授

 

生年(年齢)

昭和19年(79歳)

専攻学科目

内科学・臨床腫瘍学・血液腫瘍学

出身地

愛媛県松山市

授賞理由

 上田龍三氏は、成人T細胞白血病・リンパ腫(ATLL)に対する画期的な日本初の抗がん抗体医薬の開発研究に成功したのみならず、長年に亘り、がんの基礎研究成果を臨床に導入する「がんトランスレーショナル・リサーチ(TR)」の発展に多大な貢献をしました。ATLLは1977年に日本で発見された治療困難な血液のがんであり、病態、発症原因、感染経路などの研究は、卓越した日本の研究者により次々と全貌が明らかにされましたが、治療法の開発研究は皆無でした。上田氏は、ATLLの細胞表面にあるCCR4分子がATLLの特異的マーカー分子であり、予後不良因子であることを見いだし、同分子を標的とした抗体医薬の開発に着手しました。前臨床研究を踏まえて、自ら臨床開発の統括責任医師として第Ⅰ相、第Ⅱ相治験を主導し、臨床的有用性を証明しました。2012年に抗CCR4抗体は薬事承認され、ATLL患者の第一治療選択薬となりました。上田氏の取り組みは、抗体作製、前臨床研究、治験、薬事承認、コンパニオン診断薬開発に至る産学共同研究の新しい方向性を示しました。


【用語解説】

成人T細胞白血病・リンパ腫(ATLL)
HTLV-1(ヒトT細胞白血病ウイルス1型)が白血球の1つであるT細胞に感染し、がん化した細胞(ATL細胞)が増殖することで発症する病気。主な感染経路は母子感染と考えられている。HTLV-1に感染した人が一生のうちにATLLを発症する確率は2~5%とされる。全身のリンパ節が腫れたり、皮膚に発疹や腫瘤が現れたり、下痢や便秘、頭痛、倦怠感や意識障害が起こることもあり、免疫に関係するT細胞ががん化するため、免疫不全の状態になり、日和見感染症にかかることがある。
トランスレーショナル・リサーチ(TR)
基礎研究の優れた成果を革新的な診断・治療法として開発する研究を指し、橋渡し研究ともいう。
CCR4
ケモカイン受容体の一つ。ケモカインはサイトカインの一種で白血球やリンパ球の遊走を引き起こし炎症の形成に関与するタンパク質である。ケモカインはヒトでは45種類以上、その受容体は18種類存在することが知られている。
抗体医薬
がんや免疫疾患など病気の原因となるタンパク質に対する抗体を利用した医薬品。ヒト血液から精製された免疫グロブリン製剤も含まれるが、最近では主に人工的にある特定のタンパク質(抗原)を認識するモノクローナル抗体(mAb)を作製して臨床に用いられる。がんや免疫疾患などに対する抗体医薬が知られている。
コンパニオン診断薬
ある治療薬が患者に効果があるか否かを、対象となる遺伝子の発現の有無や遺伝子変異の有無を調べることで、治療前に検査するための診断薬。
病態解明から治療薬開発まで日本が世界のATLL研究をリード

病態解明から治療薬開発まで日本が世界のATLL研究をリード

9. 日本学士院賞

研究題目

齲蝕ワクチンの研究から始まった粘膜免疫学の創生と経口・経鼻ワクチンの開発

氏名

清野 宏(きよの ひろし)

上田龍三

現職

千葉大学未来医療教育研究機構・医学部附属病院ヒト粘膜ワクチン学部門卓越教授、千葉大学未来粘膜ワクチン研究開発シナジー拠点長、 千葉大学災害治療学研究所感染症ワクチン開発研究部門長、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校医学部特任教授、東京大学名誉教授

生年(年齢)

昭和28年(70歳)

専攻学科目

歯学・免疫学・ワクチン学

出身地

長野県松本市

授賞理由

 清野 宏氏は、歯周病とともに二大口腔疾患の一つであった齲蝕(うしょく)のワクチン研究を原点として、腸管と呼吸器の粘膜免疫機構の解明を先導し、粘膜免疫学の創生に貢献し、その研究を基盤として、粘膜ワクチンの開発を行いました。まず、既存ワクチンの冷蔵・冷凍保存・運搬というコールドチェーンの課題克服を目指し、医農異分野融合研究の下、コメ型タンパク質発現と貯蔵体に着目した常温備蓄用のコメ型経口ワクチンであるMucoRice開発を先導しました。加えて、呼吸器粘膜面(上気道粘膜上皮層)が負電荷であることに着目し、正電荷のアミノ基を付加したプルラン・コレステロールを骨格とした経鼻ワクチンデリバリー体のカチオン化ナノゲル(cCHP)を医工連携で開発し、cCHPに肺炎球菌に共通するタンパク抗原を封入したcCHP-PspAを作製し、肺炎発症抑制効果のある抗原特異的免疫の誘導に成功し、有用性を証明しました。


【用語解説】

齲蝕(うしょく)のワクチン研究
齲蝕は一般的に虫歯と呼ばれている疾患である。1970年代、齲蝕の原因菌として連鎖状球菌(ミュータンス菌)が同定され、その菌の持つグルコシル・トランスフェラーゼ(GTF)という酵素を標的として齲蝕予防ワクチンが考案された。その後、齲蝕の発症は口腔内の多数の常在菌による複合感染であることがわかり齲蝕ワクチンの開発は実現しなかったが、その研究成果は、粘膜免疫機構の存在と解明の研究推進と進展に貢献した。
粘膜免疫
口、鼻に始まる呼吸器や消化器は粘膜で被われている。その粘膜組織は直接外界に接し、多種多様な抗原に暴露されていることから、粘膜では病原体などの異物が体内に入らないように免疫応答が行われている。粘膜免疫は病原体を防ぐだけでなく、宿主に対して有益な食物や腸内細菌に対しては過剰な応答を抑え、共生関係も構築している。
粘膜ワクチン
粘膜免疫機構を使って、抗原を経口または経鼻投与するワクチン。既存の注射ワクチンでは重症化を予防する血清IgG抗体を誘導できるが、病原体が侵入する粘膜面には、抗原特異的抗体を効果的に誘導できない。一方で、粘膜ワクチンは血清IgGと共に、注射ワクチンでは効率よく誘導できない分泌型IgA抗体を粘膜面に誘導できるので、病原体に対して二段構えの防御が期待できる。
抗原を経口・経鼻投与することで、粘膜免疫と全身免疫の両方を活性化し、抗原特異的分泌型IgAと血清IgG抗体が誘導でき、二段構えの防御免疫が成立する。その研究成果に立脚し、異分野融合研究開発を先導し、コメ型経口ワクチンMucoRiceとカチオン化ナノゲル経鼻ワクチンに代表される粘膜ワクチンの開発を進めてきた。

抗原を経口・経鼻投与することで、粘膜免疫と全身免疫の両方を活性化し、抗原特異的分泌型IgAと血清IgG抗体が誘導でき、二段構えの防御免疫が成立する。その研究成果に立脚し、異分野融合研究開発を先導し、コメ型経口ワクチンMucoRiceとカチオン化ナノゲル経鼻ワクチンに代表される粘膜ワクチンの開発を進めてきた。