日本学士院新会員の選定について
日本学士院は、平成23年12月12日開催の第1054回総会において、日本学士院法第3条に基づき、次の7名を新たに日本学士院会員として選定しました。
今回の選定で会員数は141名となります。
(1)第1部第1分科 |
氏名 |
薗田坦(そのだ たん) |
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現職等 |
京都大学名誉教授 |
専攻学科目 |
西洋近世哲学史・宗教哲学 |
主要な学術上の業績 |
薗田 坦氏は、M・エックハルトに代表されるヨーロッパ中世からの宗教哲学思想の精緻な研究ののち、近世における哲学知と科学知の並行的な、ないし連動的な展開の究明を課題としてきました。殊にニコラウス・クザーヌス(1401-1464)についての我が国最初の高度なモノグラフィーである『〈無限〉の思惟』(昭和62年)の刊行は、日本における哲学研究に画期的な寄与をなした業績として評価されています。
薗田氏は、クザーヌスの広大にして複雑な思想世界の源泉的原理が彼の「無限」観にあると見て、いわゆるキーワード的に流通している「無知の知」及び「対立の一致」を「無限」観の分節として綿密かつ独特に解明しています。
同氏は、更にクザーヌスが後続する近世哲学に対してもつ意義と影響に光をあてた第二の著作『クザーヌスと近世哲学』(平成15年)を著わし、近世哲学研究の領域に一つの金字塔を建てたと言うことができます。
【用語解説】
- M・エックハルト(1260頃-1327/28)
- マイスター・エックハルトの尊称で知られるドイツ神秘主義の代表的思想家。ドイツ語でなされた活発な説教活動は、大きな影響を与えた。その思想は、多くの神秘主義の源流となっている。
- ニコラウス・クザーヌス
- ドイツの神秘主義哲学者、神学者、数学者、枢密卿。中世哲学の最後の人でありながら、その思想は近世哲学にも影響を与えている。ドイツ・ルネサンス期哲学における思想家の代表的な一人。
- 無知の知
- ソクラテスに見られる概念であるが、近世初頭クザーヌスによって新たな思考の原理として打ち建てられた立場。我々の通常の知が無知であることを知ることが、新たな知の出発点となり、そこから無限なるもの(神、数学的・科学的無限など)への哲学的思考が改めて可能となる、とされる。
- 対立の一致
- 上記「無知の知」の立場からの哲学的思考において始めて、例えば最大と最小など、通常の論理では矛盾・対立的なものの総体を一つに把握することが可能となるという考え方、ないしその成果を示す。
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(2)第1部第2分科 |
氏名 |
佐々木毅(ささき たけし) |
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現職等 |
学習院大学法学部教授、東京大学名誉教授 |
専攻学科目 |
政治学史・政治学 |
主要な学術上の業績 |
佐々木 毅氏の学術的業績は、分析対象の時代と地域という点でも、また方法論的にもきわめて多岐にわたります。主要な業績を大別すれば、第一に、古代から近代に至る西洋の政治思想の理論的・歴史的研究(『マキアヴェッリの政治思想』『主権・抵抗権・寛容』『プラトンと政治』など)、第二に、20世紀の政治思想動向の理論的研究(『現代アメリカの保守主義』『アメリカの保守とリベラル』『プラトンの呪縛』など)、第三に、現代日本政治の分析(『いま政治になにが可能か』『政治に何ができるか』『政治家の条件』など)があげられます。これらの幅広い研究分野をおおう業績は、佐々木氏の一貫した問題関心によって相互に連関しており、全体として一個の政治学の学問体系を形成しています。学問の細分化の傾向が進む今日にあって、幅広い研究分野を高い水準で統合する独自の政治理論を構築したところに、同氏の学術的業績の顕著な特徴があります。
【用語解説】
- マキアヴェッリ(1469-1527年)
- イタリア・ルネサンス期の政治思想家。フィレンツェ共和国の外交官。政治家。歴史家。主要な著書に「君主国とはどんなものか、その種類、領土をいかに獲得しいかに維持するか、領土喪失の原因がどこにあるのか」を論じる『君主論』等がある。
- プラトン(紀元前427-紀元前347年)
- 古代ギリシアの哲学者。学校と研究所を兼ねたアカデメイアを創設し、教育、著述等を行う。対話編という形式の『ソクラテスの弁明』、『国家』等の著作が有名である。イデア論等のプラトンの哲学は、西洋哲学に絶大な影響を与えている。
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(3)第1部第3分科 |
氏名 |
鈴村興太郎(すずむら こうたろう) |
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現職等 |
早稲田大学政治経済学術院特任教授、
一橋大学名誉教授 |
専攻学科目 |
厚生経済学・社会選択理論 |
主要な学術上の業績 |
鈴村 興太郎氏は、国際的に日本を代表する理論経済学者であり、ことにアロー、センとならぶ「厚生経済学」、とりわけ「社会的選択理論」に関する国際的な権威として多くの業績をあげています。
鈴村氏は、社会的選択理論のいっそうの前進に立ちはだかってきたいわゆる「アローの一般可能性定理」(民主的な方法による社会の合理的な選択の不可能性)の問題を克服する解決策を提示しました。たとえば、同じ社会厚生的帰結でもそれにいたる手続きの違いを問題にすることなどです。
【用語解説】
- アロー(ケネス・ジョセフ・アロー)
- (1921-)、米国の経済学者。ハーバード大学、スタンフォード大学教授。1972年、一般可能性定理等の研究により、ノーベル経済学賞受賞。
- セン(アマルティア・セン)
- (1933-)、インドの経済学者。1998年、厚生経済学への貢献により、アジア初のノーベル経済学賞受賞。
- 厚生経済学
- 社会を構成する人々の個人的効用を集計して定義される社会的厚生を判断基準として社会の経済問題を考察する、現代経済学の重要な一部門である。経済政策に関する経済学的理論の基礎理論である。
- 社会的選択理論
- 社会を構成する個人の選好を集計して社会的選好を構成する社会の選択ルールの性質を研究する理論。
- アローの一般可能性定理
- 古くから知られている投票の逆理を一般化して、民主的な手続きで個人の選好を集計する方法では社会の決定が堂堂めぐりになり確定できないこと。
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(4)第2部第4分科 |
氏名 |
鈴木章(すずき あきら) |
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現職等 |
北海道大学名誉教授 |
専攻学科目 |
合成化学 |
主要な学術上の業績 |
鈴木 章氏は、有機化合物を合成する際に必要不可欠な炭素-炭素結合の形成に、塩基の存在下でパラジウム触媒を用いることにより、有機ホウ素化合物と有機ハロゲン化合物などとをクロスカップリングさせる反応を開発しました。この反応は「鈴木クロスカップリング反応」と呼ばれ、その特長は、原料が入手しやすく、反応条件が温和であり、また反応系に有害物質を用いないので環境に優しいことです。
また、多くの官能基を持つ出発原料にも適用され、副生成物(無機物)を反応生成混合物から容易に除去でき、そのうえ水または含水溶媒中でも反応し得るなど、多くの利点が挙げられます。そのため、複雑な構造を持つ天然有機化合物の合成を始め、医薬や農薬の製造への利用、さらには電導性高分子や有機発光ダイオード(OLED)、液晶材料などの開発に幅広く利用されています。
【用語解説】
- パラジウム触媒
- 反応溶媒に可溶な第3級ホスフィン(PPh3)がパラジウムに配位した錯体触媒、Pd(PPh3)4 などが有機合成に広く用いられている。
- クロスカップリング反応
- 一般的には二つの有機化合物を炭素-炭素結合を介して位置選択的に連結させる反応をいう。特にそれぞれの物質が生成物の基本骨格を形成するときにこの言葉が使われることが多い。鈴木クロスカップリングの反応例を下記に示す。
- 官能基
- 一つの有機化合物の分子内で反応性を特徴づける原子または原子団を官能基という。上記の反応例では -B(OH)2や -Brなどがこれにあたる。
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(5)第2部第4分科 |
氏名 |
田中靖郎(たなか やすお) |
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現職等 |
東京大学名誉教授、
宇宙科学研究所名誉教授、
独国マックス・プランク宇宙物理学研究所特別所員、
名古屋大学特別教授 |
専攻学科目 |
天文学 |
主要な学術上の業績 |
田中 靖郎氏は、X線天文学分野において、「てんま」、「ぎんが」、「あすか」等の衛星計画を主導すると共に、X線観測技術の開発を推進し、また国際協力を大幅に発展させました。特に「あすか」では世界で初めて、広い波長帯のX線反射望遠鏡とX線用CCDを搭載し、X線天文学を撮像と分光を同時に行う本格的天文学の時代に導きました。
田中氏は、これらの衛星で多くのX線源の研究を行いましたが、中でも顕著な成果は、中性子星X線源とブラックホールX線源のX線スペクトルの相違で、X線スペクトルを調べることにより表面の有り(中性子星)無し(ブラックホール)と、質量の違いを知ることが出来ることを示しました。この結果は、新たにいくつものブラックホールの発見に導くと共に、ブラックホール近傍からのX線放射の研究に重要な手がかりを与えました。
同氏はまた、X線検出器の性能改善に努め、その結果、多くのX線源から鉄原子が出す輝線を発見し、鉄輝線学とも言える新しい分野を開拓しました。
【用語解説】
- 分光、X線スペクトル
- X線の或る波長範囲で、波長毎の強度を測定することを分光と言い、分光の結果得 られた波長対強度の分布をスペクトルと言う。
- 中性子星X線源、ブラックホールX線源
- 強いX線源の殆どは、中性子星或いはブラックホールと普通の星の連星系である。 中性子星もブラックホールも自己重力で極限まで収縮した天体である。中性子星の 質量には上限があり(太陽質量の約3倍)、それ以上の質量だとブラックホールに なってしまう。中性子星には表面があるが、ブラックホールには無く、或る限界半 径以内からは光さえ外に出られない。
- 輝線
- 原子からの放射線、或いは吸収線はその元素に特有の波長を示す。その波長の放射 線を輝線という。
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(6)第2部第4分科 |
氏名 |
深尾良夫(ふかお よしお) |
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現職等 |
(独)海洋研究開発機構地球内部ダイナミクス領域
上席研究員、
東京大学名誉教授 |
専攻学科目 |
地震学 |
主要な学術上の業績 |
深尾 良夫氏は、マントル(固体地球の上半分、図参照)のダイナミクスに関する地震学的研究で顕著な業績をあげてきましたが、近年は「スタグナントスラブの発見」及び「常時地球自由振動の発見」で著しい成果を挙げています。前者は、地震波トモグラフィーを用いて、マントルに沈み込んだプレートが上部・下部マントル境界付近に滞留する性質があることを見出したものです。深尾氏らは、これにスタグナントスラブという名を付け、それが沈み込むプレートの一般的な現象であることを示しマントルダイナミクス論に大きな影響を与えました。後者は、長周期地震学的手法を用いて地球全体が地震のないときでも常に揺れていることを見出したもので、同氏らはこの現象に常時地球自由振動という名を付けました。更に深尾氏らは、この現象に大気や海洋が深く関わっていることを示し励起源モデルを提案するなど、固体地球と大気/海洋とを1つのシステムとみなす地震学の発展に寄与しています。
【用語解説】
- スラブ
- 地球内部に沈み込んで行くプレートのこと。日本付近では、太平洋プレートの沈み込みによって生まれる。
- 常時地球自由振動
- 大きな地震が起きると、地球全体が数分から1時間くらいの周期で何日も地球自由振動を続ける。地球自由振動は、最近まで、大きな地震のときにだけ起こる現象と考えられてきた。しかし、1998年に、深尾氏らが、地震が起こらなくても微弱な(振幅が重力加速度の単位にしてnGal:ナノガルレベル)地球自由振動が常に発生しているという常識を覆す現象を発見した。
- 地震波トモグラフィー
- 地震波観測から地球内部の3次元速度構造を求める手法のこと。医学のエックス線CT等と原理としては同じであるが、それが物質の密度の分布を画像化するのに対し、地震波トモグラフィーでは内部を通る地震波の速度の分布を画像化する。地震波速度は、地球内部の温度や物質の成分の違いによって変化するので、地震波速度の分布を温度や成分の分布に解釈することもできる。
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(7)第2部第5分科 |
氏名 |
堀幸夫(ほり ゆきお) |
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現職等 |
金沢工業大学学事顧問、東京大学名誉教授 |
専攻学科目 |
機械工学 |
主要な学術上の業績 |
堀 幸夫氏は機械工学の基本現象である回転、潤滑、材料強度の三分野で、優れた業績を挙げました。滑り軸受で支えられた高速の回転軸に起こる烈しい振動(オイルウィップと呼ぶ)の本質を世界に先駆けて明らかにし(堀のオイルウィップの理論)、その回避法を示して、各種回転機械の高速化長軸化を可能にしました。現代の100万KWを超える大型発電機が実用できるようになったのはその一例です。堀氏はオイルウィップに対する地震の影響についても研究し、その回避法を示しました。
潤滑の分野では、高速滑り軸受、磁気ディスク、磁気テープ装置などに用いる流体や空気による潤滑作用の精密な解析を行い、設計理論を創り優れた貢献を行っています。さらに高分子強度材料の利用に当たって、固体プラスチックの破壊、熔融プラスチックの流れなどについて先駆的な研究を行い、プラスチック材料の実用化に貢献しました。
同氏は、このように多彩な領域に亘って学術の飛躍的発展に寄与するとともに、工業技術の進展にも極めて大きな貢献をしています。
【用語解説】
- オイルウィップ(oil whip)
- 滑り軸受で支えられ回転軸に特有の自励振動であり、回転速度が危険速度(回転軸の固有振動数と一致した回転速度)の2倍を越えると発生するとされ、時に回転機自体を破壊するほど烈しい振動となるため、回転機械の高速度、長軸化の大きな障害になっていた。
堀氏の理論はこれを解析し危険速度の2倍以上の任意の高速度での回避方法を示したもので、その結果、発電機、蒸気タービン、ブロワ等各種回転機械の大出力化への道が拓かれた。
- 磁気テープ、ディスクの潤滑
- コンピュータ、或いは最近テレビ映像のメモリとして多用されている磁気ディスク装置は、高速に回転する磁気媒体に磁気ヘッドを接近して置き、信号の記録と再生を行うもので、できる限り狭いすき間で潤滑を行うことが高性能化の要件の一つである。堀氏は初期のヘッドの空気浮上の時代からこの研究を動的特性を含めて行っている。最近は、ヘッド、記録媒体間のすき間(空気層)は10ナノメータ以下になっている。
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