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日本学士院賞授賞の決定について

日本学士院は、平成30年3月12日開催の第1117回総会において、日本学士院賞9件9名(うち2件に対し恩賜賞を重ねて授与)、日本学士院エジンバラ公賞1件1名を決定しましたので、お知らせいたします。受賞者は以下のとおりです。

1. 恩賜賞・日本学士院賞
研究題目 Dictionnaire du français médiéval(『中世フランス語辞典』)
氏名 松村 剛(まつむら たけし) 松村 剛
現職

東京大学大学院総合文化研究科教授

生年(年齢) 昭和35年(58歳)
専攻学科目

中世フランス語・フランス文学

出身地 東京都中野区
授賞理由

  松村 剛氏は、フランス語の語彙研究の分野で世界的に知られる研究者ですが、フランス中世文学研究の泰斗ミシェル・ザンク教授の要請を受けて、これまで信頼できる類書のなかった中世フランス語辞典の編纂に取り組み、Dictionnaire du français médiéval 一巻(全3,500頁)を独力で完成させました。本書は起源から中世末までのフランス語を収録して、精確で明晰な語義を与え、豊富な用例を添え、語源、語の歴史、地域性についての説明を付しています。用例の引用については、一切の孫引きを排して最良の校訂版ないし写本に当たるという原則を貫き、これによって従来引き継がれてきた多数の誤りと見落としが修正されました。また中世にはフランス全土に共通する国語としてのフランス語はまだ成立しておらず、数多くの地方語が並立し、イングランド・イタリア・聖地などで使われていたフランス語もそれぞれ独自性を有していましたが、本書はこの点についての情報を明記したはじめての辞書です。本書はフランスの言語文化の理解に不可欠な基本参考書であると同時に高度の学問的業績であり、フランスなど海外の学界でもきわめて高い評価を受けています。このような著作が日本人によって独力で編纂されたのは驚嘆すべき出来事です。


【用語解説】

中世フランス語
フランス語最古の文献が出現する9世紀半ばから15世紀末まで主として北フランスで通用した言語。
Dictionnaire du français médiéval (Paris, Les Belles Lettres, 2015)
日本語で表記すれば、『中世フランス語辞典』パリ、ベル・レットル出版社、2015年刊行。
フランス語
ラテン語を祖語とするロマンス諸語の一つであり、9世紀頃にラテン語から分離した言語として成立した。
国語としてのフランス語
パリを中心とするイル・ド・フランス地方の方言(フランシアン方言)が、フランス全土の共通語、国語としての位置を獲得するのは、16世紀以降のことである。
2. 恩賜賞・日本学士院賞
研究題目 原子構造に基づくイオンポンプ作動機構の解明
氏名 豊島 近(とよしま ちかし) 豊島 近
現職 東京大学分子細胞生物学研究所教授、
東京大学分子細胞生物学研究所附属高難度蛋白質
立体構造解析センター長
生年(年齢)

昭和29年(63歳)

専攻学科目 生物物理学
出身地 秋田県由利本荘市(旧本荘市)
授賞理由

 カルシウムやナトリウムなどのイオンの濃度は細胞内と細胞外では大きく異なります。このイオンの勾配は細胞膜に存在するイオン特異的ポンプによって維持されています。豊島 近氏は、イオンポンプ蛋白質を代表する筋小胞体カルシウムポンプに関し、イオン輸送サイクルのほぼすべての中間状態の構造をX線結晶解析によって決定し、生体膜を越えてイオンを濃度勾配に逆らって輸送するポンプ蛋白質の複雑な作動機構を原子構造に基づいて解明しました。さらには、イオンポンプが活動する場である脂質二重膜をも可視化し、脂質二重膜を構成するリン脂質と膜蛋白質との動的で緊密な相互作用を初めて明らかにしました。また、ナトリウムポンプに関しても、どのようにしてナトリウムイオンをわずか0.04ナノメートルの違いしかないカリウムイオンと厳密に区別し、高速に運搬できるのかをナトリウムポンプ蛋白質の原子構造を決定して明快に説明しました。


【用語解説】

イオンポンプ蛋白質
生体膜に存在する蛋白質(膜蛋白質)で、目的とするイオンを選択的に結合し、ATP(アデノシン三リン酸)の持つエネルギーを利用し、2つのゲートを交互に開け閉めすることで、濃度勾配に逆らって、膜を越えてイオンを運搬する(能動輸送する)。
筋小胞体カルシウムポンプ
筋肉の収縮は筋小胞体と呼ばれる袋状の構造に蓄えられていたカルシウムが筋細胞中に放出されることによって生じる。弛緩のためには、放出されたカルシウムを筋小胞体中へ汲み戻す必要があり、その役割を果たすのが筋小胞体カルシウムポンプである。
脂質二重膜
生体膜はリン脂質やコレステロール等からなり、水と接する親水的な部分を外側に、油のように疎水的な部分を内側にして二重層を形成している。イオンは脂質二重膜を通過できないため、細胞の内外でイオンの濃度差を維持できる。
ナトリウムポンプ
ほぼすべての動物細胞に存在し、ナトリウムを細胞内から外へ、カリウムを外から内へ運搬し、濃度勾配を形成する。ナトリウムの濃度勾配は他の輸送体の駆動力や、神経興奮の際の電気信号の源となる。
カルシウムポンプのイオン輸送サイクル

カルシウムポンプ蛋白質は、2つあるゲートを順に開閉し、ATP1個あたり2個のカルシウムイオンを1万倍もの濃度勾配に逆らって輸送する。その動きはミクロの手押しポンプのようである。

3. 日本学士院賞
研究題目

ドイツ史の始まり—中世ローマ帝国とドイツ人のエトノス生成—

氏名 三佐川亮宏(みさがわ あきひろ) 三佐川亮宏
現職

東海大学文学部教授

生年(年齢) 昭和36年(57歳)
専攻学科目 ドイツ中世史
出身地 北海道札幌市中央区
授賞理由

  三佐川亮宏氏の著書『ドイツ史の始まり—中世ローマ帝国とドイツ人のエトノス生成—』(創文社、2013年2月)は、ドイツ中世史学の最も根本的問題でありながら、歴史家の間で見解が大きく分かれ、長い間論争の的となってきた「ドイツ史」の始まりをいつの時点に想定するかについて、ドイツ人のエトノス(民族)としての出現時期如何の視点から探究し、多くが首肯しうる答えを導き出すのに成功しました。それは9世紀中頃に領土的枠組の基本が定まり、やがてラテン語に対比して単に「フォルクの言葉」を話す話者を表現した「テウトニキ(Teutonici)」という普通名詞が、「ドイツの人々」を意味する「ディウッチュ リウティ(diutischi liuti)」という固有名詞へと変貌し、それが自称としても他称としても使用され、12世紀前半に定着を見た時点をドイツ史の「始まり」の終期とすべきことを、年代記、国王文書、教皇文書、詩作品など、関連する大量かつ多様な類型の史料証言を、丹念に突き合せ、導き出しました。推論の糸をたぐり、統合を重ねながらひとつの説得的な結論を提示した優れた業績です。


【用語解説】

中世ローマ帝国
962年のオットー大帝の皇帝戴冠により成立した帝国を指し、東フランク=ドイツ、イタリア、ブルグントの各王国から成る。一般には「神聖ローマ帝国」と呼ばれるが、この名称が定着するのは13世紀半ば以降で、それ以前は古代ローマ帝国と理念的に連続するとの理解から、「帝国」、「ローマ帝国」と呼ばれた。本書では、ドイツ人のエトノス生成を促進する「場」としての機能に着目した。
エトノス
中世人の民族的属性を規定したのは、血統・身体的特徴、あるいは言語・法・風俗習慣等の共通性ではなく、むしろ共通の祖先に出自するという(フィクショナルな)確信を絆に結ばれた歴史意識の共有関係であった。本書では、特殊中世的集合心性を分析すべく、民族社会学の概念である「エトノス生成」を援用した。
フォルクの言葉
聖職者が用いる教養語としてのラテン語あるいはそこから派生したロマンス語と対比された、ゲルマン語系の諸民族(フォルク)の俗語。8~10世紀の初期の語法では、フランク語、古ザクセン語、古英語、ゴート語、ランゴバルト語等を広く指し、その言語空間は「ドイツ」にはまだ限定されてはいなかった。
年代記、国王文書、教皇文書、詩作品
本書では、8世紀末から12世紀半ばまでの約200点の史料を検証し、「ドイツ」に関する約460例を分析対象として抽出した。重要なのは、「ドイツ人」という民族名を初めて他称として用いたイタリア人のクレモナ司教リーウトプランドの『報復の書』(958~62年成立)、自称用法が初出するドイツ語史料の『アンノの歌』(1077~81年)、「ドイツ王国」概念の普及・定着の契機を提供したローマ教皇グレゴリウス7世(在位1073~85年)の書簡類、そして、「ローマ帝国」の担い手としての「ドイツ人」の役割を、キリスト教救済史の枠組みの中に位置付けたフライジング司教オットーの『年代記』(1143~46年)である。
4. 日本学士院賞
研究題目 確率解析と数理ファイナンスの研究
氏名 楠岡成雄(くすおか しげお) 楠岡成雄
現職

東京大学名誉教授

生年(年齢) 昭和29年(64歳)
専攻学科目 数学
出身地 大阪市此花区
授賞理由

  楠岡成雄氏は、伊藤 清氏によって創始された確率解析を大きく展開させ、その無限次元解析的方法を発展させることで新たな局面を切り開き、さらに数理ファイナンス等の分野で確率解析の深遠なる応用を与えました。

楠岡氏はD.W.Stroock氏との共同研究において、マリアバン解析を整備し大きく発展させ、この応用として、二階の微分作用素に関する熱方程式の基本解の準楕円性の問題に大きな進展を与えました。また、発展方程式の基本解の上からの評価がナッシュの不等式と同値であるという、発展方程式論の記念碑的な成果を挙げました。数理ファイナンスの分野においては、マリアバン解析とリー環論に基づいて、楠岡近似と呼ばれる拡散過程の期待値の近似計算方式を与え、オプション価格の高速計算の精度保証を可能としました。このほか、フラクタル上の確率過程、大偏差原理、統計力学に関係する確率モデルの研究など、極めて多岐にわたる顕著な業績を挙げています。

【用語解説】

確率解析
確率過程(ブラウン運動など、時間とともにランダムに変動する偶然量)における微積分学。
数理ファイナンス
金融分野における問題を数理モデルにより解析する学問。金融機関においては、証券価格の確率過程モデルをたて、金融リスクを評価したり、金融市場における取引を通じて金融リスクを軽減する方法を見出すために用いられている。
マリアバン解析
1976年にP.Malliavin氏によって提唱された、パス空間上の解析学。
準楕円性の問題
ある関数に微分作用素を施した結果が滑らかな関数である時、元の関数が滑らかであるかという、解析学の古典的な問題。楕円型と呼ばれる非退化な場合に肯定的であることは良く知られていたが、楠岡氏は、非退化の条件を大幅に緩めても解が滑らかなことを証明した。
ナッシュの不等式
1958年にJ.Nash氏が与えた、ディリクレ形式と関数ノルムの関係した不等式。
リー環論
元々は微分方程式に現れる無限小変換の間の関係を代数的に表現する手法として考えられたもの。現代では大きな代数の一分野となっている。
オプション価格
満期日(まで)に、あらかじめ決められた行使価格で株などの原資産を購入(売却)する権利に付けられる価格のこと。
フラクタル
20世紀後半にB.Mandelbrot氏が造り出した用語。図形の一部分と全体の間に自己相似性があるようなもの。典型例としては、シェルピンスキーガスケット、シェルピンスキーカーペットなどが挙げられる。
楠岡近似の概略図
5. 日本学士院賞
研究題目 キラル相間移動触媒の創製
氏名 丸岡啓二(まるおか けいじ) 丸岡啓二
現職

京都大学大学院理学研究科教授

生年(年齢) 昭和28年(64歳)
専攻学科目 有機合成化学
出身地 三重県松阪市
授賞理由

  丸岡啓二氏は、金属を含まず、かつ精密合成を可能にする有機分子触媒にいち早く着目し、環境調和型のキラル相間移動触媒である「丸岡触媒」や、さらに高活性の「簡素化丸岡触媒」の創製に成功しました。その結果、数多くの天然型および非天然型アミノ酸、ジアルキルアミノ酸など、新しい医薬品の開発に向けたキラル物質の選択的かつ大量合成法を確立することができました。たとえば、生理活性アミノ酸であるパーキンソン病治療薬や抗生物質などが容易に合成できます。これらの新しい触媒は、既に試薬化、商標登録され、国内外の大手の試薬会社を通じて広く大学や企業の研究室で使われています。また、10年程前から日本企業が非天然型アミノ酸合成の事業化を開始し、現在、国内および欧米の製薬会社から新規医薬原料や中間体用としての非天然型アミノ酸の受託合成を請け負っており、そのうちの幾つかは既に治験薬の段階に至っています。


【用語解説】

有機分子触媒
金属元素を含まず、炭素、水素、酸素、窒素、硫黄などの元素から成り、触媒作用を持つ低分子有機化合物。
キラル
光学異性の性質。左右の手のように、鏡像関係にあって重ね合わせることのできない物質の性質。
相間移動触媒
水に不溶な有機化合物と、有機溶媒に不溶な試薬を高効率で反応させるために使用される触媒。
丸岡触媒
アミノ酸の大量合成に有用なキラル相間移動触媒である。海外では「Maruoka Catalyst」の商標登録名で知られている。
非天然型アミノ酸
一般には天然に存在するL型アミノ酸の鏡像体である、D型アミノ酸を指すが、ここではそれ以外にあらゆるR置換基をもつ非天然化合物(図を参照)を含む。
生理活性アミノ酸
生理機能上、重要な役割を持つアミノ酸である。天然に存在するアミノ酸のみならず、非天然型のアミノ酸の中にも重要な生理活性を持つものが数多く知られている。
丸岡触媒を用いる天然型および非天然型アミノ酸の大量合成
6. 日本学士院賞
研究題目 革新的ソフトマテリアルの精密階層設計に関する研究
氏名 相田卓三(あいだ たくぞう) 相田卓三
現職

理化学研究所創発物性科学研究センター副センター長、
東京大学大学院工学系研究科教授

生年(年齢) 昭和31年(61歳)
専攻学科目 高分子化学・材料科学
出身地 大分県佐伯市
授賞理由

  相田卓三氏は、分子が「ナノ領域を経て巨視領域に至る階層構造を形成する」ボトムアップ集積プロセスにおいて「多価相互作用」や「物理的摂動」を駆使し、世界を驚嘆させる多くの革新的ソフトマテリアルを開拓しました。昨今、研究者の視線がこれまでの「希薄平衡系」からより複雑な「凝縮非平衡系」に移行しつつありますが、相田氏は20年程前に無機材料のナノ細孔を反応場としたエチレンの押し出し重合を発見し、凝縮非平衡系での階層的組織化に立ちはだかる速度論的トラップを制御するためのヒントをいち早く察知しました。それを契機に上述の多価相互作用や物理的摂動を駆使してナノ領域と巨視領域の間に存在するMissing Linkを繋ぐことで未成熟だった当該分野を牽引し、ほぼ水から成るのに強靭で異方的なアクアマテリアルや破断しても室温で圧着修復できる樹脂ガラスなど、他に類のない独創的な物質科学を深く広く展開してきました。


【用語解説】

ボトムアップ集積プロセス
分子を自己組織化させ、核形成→ナノ領域→メゾ領域→巨視領域と次第に大きな集積構造を作っていくプロセス。
多価相互作用
AとBのユニット間の親和性(A・・・・B)を利用して分子同士を接着させる際、接着させようとする分子のそれぞれにより多くのA、Bユニットを持たせると分子同士の接着力が非線形的に増大するという効果。
物理的摂動
定常的にかかっている力からずれた力をかける行為。たとえば自然運動をしているコロイド分散粒子に超音波をかけるなどの操作。
ソフトマテリアル
硬く変形しにくい金属やセラミックスなどの材料とは異なり、プラスチック、ゴム、液晶、ゲルといった人体のように容易に変形する材料。
押し出し重合
相田氏が1999年に発表した特別な高分子合成反応。シリカゲルの一種である無機多孔性材料の穴の中で高分子物質を作ると、生成した高分子が穴から一方向に押し出されながら集合(下イメージ図参照)し、強靭なファイバーになる。相田氏はエチレンからポリエチレンを生成する重合反応においてこの最初の例を発見した。配向した高分子量ポリエチレンは防弾チョッキに使えるが、配向が不十分なポリエチレンは脆弱である。
押し出し重合
速度論的トラップ
希薄溶液系では分子同士の衝突が遅く、分子の組織化が化学平衡に従って均一に起こる。しかし、濃厚凝縮系での分子の組織化では化学平衡が成り立たず、熱力学的に安定な構造ではなく、先にできる構造が選ばれる(速度論的支配)。このため分子の組織化が不均一に進行し、精緻な階層構造を得ることは難しい。
アクアマテリアル
粘土ナノシートをそれと高い親和性を有する高分子物質と水中で混合するだけで生成する、ほぼ水から成る(水含量98 %)のに強靭なゲル状物質(下写真参照)。相田氏が2010年に発表し、「混ぜるだけでできるゲル状物質は弱い」というそれまでの常識を覆した。
アクアマテリアル
室温で圧着修復できる樹脂ガラス(自己修復性樹脂ガラス)
相田氏が2018年に発表した「室温で破断面を圧着させておくと、破断面同士が融合して修復する」硬いガラス状の素材(下写真参照)。ゴムやゲルといった分子運動が活発で柔らかい素材に関しては自己修復挙動を示す例があったが、本研究は「分子運動が凍結したガラスのように硬い樹脂は加熱溶融しない限り判断面を修復できない」というそれまでの常識を覆した。
室温で圧着修復できる樹脂グラス
7. 日本学士院賞
研究題目

アジア稲作に及ぼす地球温暖化の影響に関するシステム農学的研究

氏名 堀江 武(ほりえ たけし) 堀江 武
現職

京都大学名誉教授

生年(年齢) 昭和17年(75歳)
専攻学科目 作物学
出身地 島根県安来市
授賞理由

  堀江 武氏は、アジアの基幹食料であるコメの生産に及ぼす地球温暖化の影響と適応策を明らかにする目的で、アジアの主要な稲作気候帯をカバーする水稲の品種・地域比較栽培ネットワーク試験、およびCO2濃度を富化した温度傾斜型温室での水稲に対するCO2濃度と温度の複合処理実験などによって得られたデータを解析し、大気環境が水稲の生育・収量に及ぼす影響を高い確度で予測する数理プロセスモデルの開発に成功しました。このモデルに、大気大循環モデルが予測する大気CO2濃度の倍増時の気候値を入力し、アジア各地域の水稲生産に及ぼす地球温暖化の潜在的影響を明らかにしました。さらに、高CO2濃度・温暖化気候に高い適応性をもつ品種開発の目標形質とその遺伝資源を提示しました。これらの研究成果は、IPCC報告書などを通じて、温暖化防止の国際世論の形成に貢献するとともに、内外の様々な研究機関で地球温暖化と食料問題の解決を目指す研究に活用されるなど、先導的役割を果たしてきました。


【用語解説】

温度傾斜型温室
細長い温室で、CO2濃度を様々なレベルに富化した空気が温室の長軸に沿って流れる構造になっている。通気入り口と出口の温度差が常に一定になるように空気の流れを制御することにより、温室の長軸に沿って連続的に昇温する温度環境を作出し、水稲生育に及ぼすCO2濃度と温度の複合影響を自然に近い環境下で調べることができる。
数理プロセスモデル
統計モデルのように、環境(原因)と作物収量(結果)を回帰式で直接的に結びつけるのではなく、原因から結果が生じる生理的・物理的プロセスを連立微分方程式で記述し、それを日々積分することで、生育・収量に対する環境影響を動的に予測するモデルで、未知の環境にも適用できる。
大気大循環モデル
地球大気の変動をシミュレーションする数値モデルで、温室効果ガスの濃度上昇に伴う地球温暖化の予測に用いられている。
IPCC報告書
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が地球温暖化問題に関して数年ごとに発行する報告書。

GISS大気大循環モデルが予測する大気CO2濃度640 µmol/mol到達時の平均気温の上昇(左図)が日本の水稲収量に及ぼす影響の予測(右図)

8. 日本学士院賞
研究題目 蛍光特性制御原理の解明およびバイオイメージングへの応用に関する研究
氏名

長野哲雄(ながの てつお)

河岡義裕
現職

東京大学名誉教授、
昭和薬科大学常任監事、
東京大学創薬機構客員教授

生年(年齢) 昭和24年(68歳)
専攻学科目 薬学・ケミカルバイオロジー
出身地 東京都練馬区
授賞理由

  長野哲雄氏は蛍光の発光強度を制御できる原理を発見しました。制御原理は光誘起電子移動(Photoinduced electron Transfer: PeT)機構と呼ばれ、a-PeT、d-PeTの2種類あることを明らかにし、それらの原理を基盤に酵素・受容体などの様々な生体分子に対応した40種類以上のバイオイメージング(生体可視化)プローブの開発に成功しました。これらのプローブを生細胞あるいは生体組織に適用し、生体分子の機能解析に有用であることを実証しました。生体中から刺激に応じて時空間的に生体分子の活性変化を捉えるバイオイメージングは、現代のライフサイエンス研究において必要不可欠な技術になっていますが、15年以上前のまだ揺籃期にあったこの研究分野において、本研究が果たした役割は大きく、その発展に大きく貢献しました。長野氏は現在までに450報を超える論文を発表し、論文の総被引用回数は 20,000回を超えており、これは開発したプローブが世界中の研究者に汎用されていることを示しています。


【用語解説】

蛍光
ある化合物が高エネルギーの光を吸収して励起され、励起された電子が励起一重項状態から元の基底状態に戻る時に発する光のこと。一般に化合物が吸収した光よりも長波長の光が放出される。
光誘起電子移動(Photoinduced electron Transfer: PeT)機構
PeT機構について、代表的蛍光化合物であるフルオレセイン誘導体(下図)を用いて説明する。フルオレセイン(R=H)は蛍光発光の観点から化学構造を「蛍光団部位」と「ベンゼン部位」に分けて考えることができる。蛍光は光照射により励起された「蛍光団部位」の電子が基底状態に戻る時(緩和過程)に生じる発光である。しかし、フルオレセイン誘導体の中には励起状態の「蛍光団部位」に「ベンゼン部位」から1電子移動するものがある(R=NH2など)。その誘導体の場合、「蛍光団部位」はフルオレセインとは異なる緩和過程を経て基底状態に戻るため、ほぼ無蛍光となる。これがPeT機構である(a-PeTと命名)。また、逆に「ベンゼン部位」に励起状態の「蛍光団部位」から1電子移動過程を経る誘導体もある(d-PeTと命名)。PeT機構はフルオレセインに限らず、全ての蛍光化合物に適用できる原理で、この原理に基づいて蛍光発光の有/無が制御できるようになった。
フルオレセイン誘導体
バイオイメージング
生体可視化ともいう。生きた状態の細胞、生体組織あるいはin vivoから生体分子の活性などを蛍光あるいは生物・化学発光などを用いて捉えること。
バイオイメージングプローブ
酵素・受容体等の生体分子の活性を生細胞中から可視化するための化合物。例としては、一酸化窒素(NO)プローブが挙げられる。
時空間的に生体分子の活性変化を捉える
生体分子の活性の変化を時々刻々(時間的)および細胞小器官など(空間的)を特定して測定すること。
9. 日本学士院賞
研究題目 インスリン分泌を制御するシグナル伝達の分子機構に関する研究
氏名 清野 進(せいの すすむ) 清野 進
現職 神戸大学大学院医学研究科特命教授、
神戸大学名誉教授
生年(年齢)

昭和23年(69歳)

専攻学科目 代謝学
出身地 島根県松江市
授賞理由

  清野 進氏は血糖調節の根幹となるホルモンであるインスリンが膵臓のβ細胞から分泌されるメカニズムを分子レベルで解明しました。1921年にカナダのバンティングとベストによるインスリンの発見はそれまで不治とされていた糖尿病患者への福音となりましたが、1990年代までインスリンがどのような仕組みで分泌されるかは依然不明でした。清野氏は分子生物学的手法を用いてインスリン分泌の分子メカニズムを次々と解明しました。血中グルコースが変化した場合のシグナル伝達機構の解明は、インスリン分泌の基本的な分子メカニズムを解明する大きな業績です。清野氏はさらに、血糖降下薬であるスルホニル尿素(SU)薬や近年画期的な糖尿病治療薬として開発されたインクレチン関連薬によるインスリン分泌のメカニズムを明らかにしました。これらの成果は一部の低血糖症や糖尿病の成因の解明ならびに新しい治療法の確立へと発展し、臨床的な意義も大きく、国際的に高い評価を受けています。


【用語解説】

膵臓のβ細胞
膵臓の内分泌腺であるランゲルハンス島(膵島とも呼ばれる)内に存在し、血糖を調節するホルモン、インスリンを分泌する細胞の名称。
スルホニル尿素(SU)薬
膵臓のβ細胞からのインスリン分泌を刺激し、糖尿病患者の高血糖を改善する経口糖尿病治療薬。
インクレチン
食事摂取後に腸内分泌細胞から分泌され、インスリン分泌を促進する消化管ホルモンの総称で、GLP-1とGIPが知られている。
インクレチン関連薬
インクレチンの血糖依存性インスリン分泌作用を利用して開発された糖尿病治療薬。
インスリン分泌の基本分子機構
インスリン分泌の基本分子機構。清野氏は分子生物学的手法によりインスリン分泌を制御するβ細胞内シグナル伝達の基本分子機構を解明した。cAMP(サイクリックAMP。環状アデノシン3’,5’-一リン酸)は細胞内の情報伝達物質であり、様々な細胞機能を調節する。清野氏が解明したシグナル伝達を赤字で示す。
10. 日本学士院エジンバラ公賞
研究題目

人類の起源と進化—ラミダス猿人から現生人類へ

氏名 諏訪 元(すわ げん) 諏訪 元
現職

東京大学総合研究博物館長・教授

生年(年齢)

昭和29年(63歳)

専攻学科目 自然人類学
出身地 東京都世田谷区
授賞理由

 諏訪 元氏は、1980年代から東アフリカ、とりわけエチオピアにおいて初期人類化石の発見と進化形態学的研究に従事し、中新世後期(1,160万から530万年前)から更新世(250万から1万2千年前)まで幅広い時代の人類とその進化・適応について明らかにしてきました。特に440万年前のラミダス猿人、すなわち類人猿とアウストラロピテクスの間に位置する移行型の人類について初めて明らかにし、直立2足歩行の出現と雄犬歯の縮小が人類の系統において同期的に早期に起きた可能性が高いことを示しました。また、諏訪氏は、既存唯一の800万年前のアフリカの大型類人猿化石、チョローラピテクスを発見、命名し、人類と類人猿の「深い分岐仮説」を提唱してきました。さらに200万年前ごろ以後のホモ属は、集団間変異が大きい単一の種系統として、175万年前ごろまでにホモ・エレクトスへと進化し、以後旧人段階、新人段階の人類へと進化した様相について明らかにしてきました。


【用語解説】

初期人類化石
ラミダス猿人、サヘラントロプス(チャドの化石)などの人類化石、アウストラロピテクスの各種化石、初期のホモ属の化石などを指す。
ラミダス猿人
学名アルディピテクス・ラミダス。諏訪氏らが1992年に最初の化石を発見し、1994年に命名した。木登り適応を保持しながら、直立2足歩行の能力をも獲得していた。440万から700万年前の人類を大方は代表すると考えられている。
アウストラロピテクス
420万から120万年前ごろまでの間にアフリカ各地に生存していた人類種。ラミダス猿人よりも開けた環境にまで生息域を広げ、地上の直立2足歩行に特化し、咀嚼器が発達していた。
人類と類人猿の「深い分岐仮説」
人類と類人猿の分岐については、1990年代以来、チンパンジーとの分岐がおよそ500万年前程度と考えられてきたのに対し、この分岐が800万年前ごろまで遡るとする仮説。人類とゴリラ、オランウータン、旧世界サルなどとの分岐年代も、それぞれが深く(古く)なると考えられる。
ホモ属
およそ250万年ごろにアウストラロピテクスから出現。脳の大型化、咀嚼器と顔面の縮退、下肢の伸長、石器等の道具製作と使用行動の複雑化、生活史の伸長などで特徴づけられる。
ホモ・エレクトス
いわゆる「原人」段階の人類の学名。180万から120万年前ごろまでに複数回ユーラシア大陸に分布域を広げ、東アジアでは更新世の中後期まで生存したと思われている。
旧人
ホモ・エレクトスよりも脳が大きく、生業と道具使用行動がより進歩的な人類。ネアンデルタール人も「旧人」段階の人類の一つ。
新人
アフリカで20万年前ごろまでに出現し、現代人と共にホモ・サピエンスに分類され、現生人類とも呼ばれる。額が高く、眼窩の上の骨隆起が分断され、顔面が以前の人類よりも縮退し、頤(おとがい)が形成されるなどの特徴が見られる。12万年前以後、複数回にわたりユーラシア大陸に拡散し、旧人段階、原人段階の人類と限定的に交雑しながら、それらを大方は置換したと思われている。

ラミダス猿人の復元頭骨及び雄の歯列

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